エドワード・ベアは『裕仁天皇』の中で次のように書いている。
「皇室はこれらの資産の大半を失ったが、SCAPの厳しい監査の目をのがれて、残された資産もいくらかあったようである。敗戦の濃くなった1943年、44年、専門家の助言に従って、海外の仲介人を通じ、日独伊枢軸国に好意的だったスイスやアルゼンチンのようなラテンアメリカ諸国の銀行に資産を移されたとも言われる。1948年7月19日付のSCAPの報告書には、『日本の公的、私的財産は共にSCAPの十分監視の行き届かないラテンアメリカ諸国に流出した』とある。」
ではその流失資産さんとは如何程なのだろうか?
あるASADの専門家は、戦時中に総額4100ポンドの皇室財産が大部分、横浜正金銀行を通じて海外に運び出されたと見ている。そのうち、スイスに流れたのは850万ポンド、ラテンアメリカに流れたのは1004万ポンドであった。